信濃錦 純米酒「艶三郎」
つやさぶろう
Shinano-Nishiki Junmai Sake
"Tsuyasaburo"


 御子柴艶三郎は、その昔、伊那荒井地区において他地区との水争いが絶えないことを憂い、神に命を捧げる約束のもと命を賭して水脈を掘り当て、水争いを鎮めるとともに荒井地区の水田へ農業用水を安定的に供給し、その後の荒井地区での米作りの礎を築かれた方です。
 この酒は艶三郎の功績に敬意を表し、農薬の使用を限定して荒井地区において栽培された酒造好適米を全量用いて仕込まれています。
 艶三郎の御霊が水神として合祀された年に創業した蔵元の、所在地である荒井地区への思いが詰まったお酒をどうぞ皆様で存分にお楽しみください。

 Tsuyasaburo Mikoshiba was concerned about the unending water conflicts with other districts in the Ina Arai area in the past, and under a promise to dedicate his life to the gods, he risked his life to dig a water vein to quell the water conflicts and ensure a stable supply of agricultural water for the rice fields in the Arai area, laying the foundation for rice farming in the Arai area thereafter.
 In honor of Tsuyasaburo's achievements, this sake is made entirely from rice suitable for sake brewing grown in the Arai area with limited use of agricultural chemicals.
 The brewery was founded in the year when the spirit of Tsuyasaburo was enshrined as a water god, and we hope you will enjoy this sake, which is full of the brewery's love for the Arai area where it is located.

 酒 質 な ど

■純米無濾過生原酒
 瑞々しくも濃醇な味わいをお楽しみいただける、やや甘口の純米生原酒です。
 爽やかな香味が損なわれないよう、搾ったまま一切濾過をせずに壜詰めいたしました。
 どうぞ冷やのまま、その豊かな香味の広がりをお楽しみください。
・伊那市荒井産 契約低農薬栽培
 酒造好適米 山恵錦 100%使用
・栽培者 御子柴茂樹 氏
・精米歩合 71~75%
 ( 年度の収穫量により変動します )
・アルコール分 17度
・容量 1.8L / 720mL / 300ml(生酒)
・保管 要冷蔵
※無濾過のため澱(オリ)が沈みますが品質に問題ありません

■純米素濾過火入酒
 酸味がアクセントの穏やかな酒質で、食中にて堪能できるやや辛口に仕上げました。
 どうぞ冷やかぬる燗にて、その豊かな香味の広がりを存分にお楽しみください。
・伊那市荒井産 契約低農薬栽培
 酒造好適米 山恵錦 100%使用
・栽培者 御子柴茂樹 氏
・精米歩合 71~75%
 ( 年度の収穫量により変動します )
・アルコール分 15度
・容量 1.8L / 720mL / 300mL
・保管 冷暗所
※お酒の特性上、細かな澱(オリ)が生じることがありますが品質に問題ありません


 御子柴 艶三郎 | Tsuyasaburo Mikoshiba


御子柴 艶三郎

1852(嘉永5)年伊那郡荒井村に父小太郎・母さとの長男として生まれる。
1868(明治元)年上田の酒蔵に奉公する。
1871(明治4)年帰郷して家業の農業と大工に従事する。
1872(明治5)年小沢川右岸を開墾する。
1873(明治6)年中村すみと結婚する。
1874(明治7)年家督相続し戸主となる。
1880(明治13)年原田井筋の世話役となり荒井耕地の世話役となる。
1881(明治14)年山林に畑を開墾する。水脈や水路の研究をするも山寺区との水争いで敗訴する。
1882(明治15)年上の原に美砂を発見。
1883(明治16)年水争いの約定書を作る。
1888(明治21)年水争いで怪我をする。
1889(明治22)年日本坑法の研究をする。
1890(明治23)年石灰山の発掘を始める。
1892(明治25)年荒井区総代となる。
1893(明治26)年南箕輪村八幡入りに横井戸工事が始まるが、家計が苦しく土地を売り始める。
1895(明治28)年縦井戸を試掘し湧水を発見し、上の原の横井戸本工事に着手する。
1896(明治29)年横穴より湧水が初めて流れ出る。荒井区総代となり水天宮祭典を執り行う。
1897(明治30)年上の原の開田作業と田への転換作業が進み「水神祭」を開く。
1898(明治31)年横井戸が540mまで延長され、横井戸の水利権を地主達に渡す。
1899(明治32)年新六砲兵として入営。開田作業の竣工式を行う。12月10日未明自刃する(享年48歳)
1900(明治33)年艶三郎が始めた「水神祭」を地主約70名が継承挙行する。
1906(明治39)年艶三郎の頌徳碑が県知事らにより建立され「水神祭」は荒井と西町両区の祭典となる。
1911(明治44)年艶三郎の御霊が水神として合祀される。
【参考資料:上伊那ふるさと叢書】

 「この世に生まれたからには、人のため、社会のためになる仕事をしなければ生きている価値がない」。
 水争いが絶えなかった現在の伊那市荒井に私財を投じて水脈を掘り当てた御子柴艶三郎(1852~99年)は、水不足に苦しんだ農家たちのためにその生涯をささげた。
 自分の命と引き換えに水が出るのを春日神社に祈願し、農家に平和と豊かな暮らしが訪れると、「俺の体は約束どおり神様に差し上げる。俺は水神になるのだ」と言い残して自害して果てた。
 辞世の句は「海に出る はじめは穴の 春の水」。48歳であった。

【 長野日報:2016年12月1日号より 】

 He said, "Since I was born into this world, my life is not worth living unless I do work that is beneficial to others and to society".
 Tsuyasaburo Mikoshiba (1852-99), who invested his private fortune to dig a water vein in the Arai area, where water conflicts were constant, devoted his life to helping farmers who suffered from water shortages.
 He prayed to Kasuga Shrine for water in exchange for his life.
 When peace and abundant life came to the farmers, he said, "I will give my body to the god as I promised. I will become a water god".
 His last words of resignation were, "I go out to the sea, at first a hole, spring water," at the age of 48.

【 From Nagano Nippo: December 1, 2016 issue 】






 信濃錦では、LCA ( Life Cycle Assessment ) の考え方に思いを寄せ、環境負荷の低減のため、ラベルレス・デザインを積極的に取り入れています。


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~ 飲酒は20歳になってから ~